§ 「長雨の後に君と」 六十二あーびっくりした。 まったく、最近の俺はおったまげることばっかりだ。 香と言い、秋津島さんと言い、俺の常識を越えることばかりするんだなあ。 ・・・それを言うなら、緑川先輩も・・・ 俺は一瞬、ため息を吐きかけて慌ててそいつを飲み込んだ。そんな素振りを見せたりなんかしたら、せっかく立ち直ってくれた秋津島さんがまたまたうるうるしてしまいそうで要注意だぞ。 それにしてもだ。 「ご乗車の皆さま、毎度じょうてつ室蘭バスをご利用いただきましてありがとうございま~す。 ご乗車の皆さまにお知らせいたします。 7月10日に施行されました国家緊急省エネ法に伴います節電協力のため、バスの運行時刻表を変更させていただきました。 お客様におかれましてはご不便とは存じますが、何とぞご理解とご協力をお願いいたしま~す」 うーん、相も変わらず芸のない節電アナウンスばっかり垂れ流してうんざりだけど、こうして秋津島さんと隣り合わせで車上の人になるなんて未来を俺は、果たして予測できただろうか。 すごいことだぞこれは・・・うん、凄いことだ。 「君のおかげで、本屋へ行く必要が無くなったなあ」 傍らで、嬉しいことに、さっきよりは少しだけ親しげに秋津島さんが声をかけてきた。 「水草のことなら何でも聞いてよ」 俺は応えた。 「うん、それじゃあもうひとつ」 「うんうん」 「センチビートっていうのも水草の仲間なのかな?」 「え゛?」 な、なんで?なんでそうなる? 「センチビート?」 恐る恐る、俺は聞き返した。 ついさっきまで可憐な水草達のお話しだったっていうのに、何でまたそんなおどろおどろしい領域への扉を開くっていうんだ? 「そうなの、センチビート」 なんとまあ可愛いどころじゃなく気高い気品を漂わせながら、こんな事聞いてくる秋津島さんと言う人はやはり、並大抵ではない孤高の美少女なのだと言うべきか、それともその端正の面立ちの裏にはあの蓮道周里にも劣らなくおぞましい世界を崇拝する悪魔の仮面を隠し持っているというのだろうか・・・なんてのはちょっとオーバーかな? まあ仕方ない、答えるって言ったのは俺なんだから。 「あの、それはですね・・・」 「うん」 なんだその無邪気な瞳の輝きは。 そんなにワクテカしながら待つ答えじゃないと思うぞ。 「ムカデなんです」 「へ?」 お、おおう、秋津島さんほどのつぶらな瞳でも点になれるとは、昨日の香と言い今日の秋津島さんと言い大発見の連続だ。 そうムカデって答えようとした時、それなりに定員近い乗客が乗り合わせているバスの中で秋津島さんが、この世のものとも思えない悲鳴をあげた。 その悲鳴につられたのか、何事かと運転手がバスを停車させる。 周りの人達が集まって来て、どういうわけか俺を凄い形相で睨みつけている。 え?何で?何で皆さんそんな恐い顔で・・・・! 「君!この子に何かしたのかね!?」 ごつそうな顔のおじさんやおばさん達が今すぐにでもお前を取り押さえてやる的な戦闘態勢丸出しで身構えているからおったまげたぞ。 「い、いや、僕は何も」 「じゃあ、今の悲鳴は何なんだ?!」 「痴漢よ痴漢!きっと痴漢なのよ!」 「な、ちょっと!」 うおおおい!秋津島さん、早く皆さんに釈明を・・・! 秋津島さんは固まっていた。 おいおい、きみはそんなにムカデが嫌いなのにムカデのことを聞いてきたのかい? 何が君をそうさせたんだ? いや、それどころじゃなく、俺、本当に高校生にして性犯罪者の汚名を背負うことになりかねない状況なんですけど! あわわ、バスの運ちゃんまでこっちにやって来る。 ピンチだ。大ピンチで絶体絶命だ。 俺が観念・・・いや、やってないことに観念したというわけではないのだけれど・・・しかけた時、ようやく自分を取り戻した秋津島さんが席を立った。 「すみません、彼、私の連れなんです」 そう言ってぺこりとお辞儀なんぞしてみせる。 「だって君、悲鳴をあげて・・・彼が何かしたんじゃないの?」 「いえ私、寝てたみたいで・・・嫌な夢を見てしまって・・・」 「それで悲鳴を?」 と言ったのは、私一人で男5人くらい捻り潰せますみたいに勇ましそうなおばさんだ。 「・・・戦争の夢を・・・」 秋津島さんはいかにも心が折れそうな女子高生ですとでも言いたげに少し声を震わせておばさんに答えてみせる。 こいつは・・・俺みたいなヤツがやったら絶対ふざけるなかけられそうだな・・・秋津島さんみたいな美少女がやってみせるとはまりすぎるほど絵になるから恐ろしい。 「すみません・・・お騒がせして」 伏し目がちに今一度頭を下げると周りの人は、それじゃあしようがないとでも言うように・・・俺はたまげた・・・潮が引くようにもといたそれぞれの席に引き揚げ始める。 「気持は分かるよ、お嬢さん」 バスの運ちゃんまでが、うんうんと何度も頷きながら声をかけて来た。 「何があったのはわからんが、元気を出しなさいよ」 うわー、俺、そんな優しい言葉誰からもかけられたこと無いぞ。 うむむ、やはり美人は得なのか? あ、でも、昨日、香に・・・ 「最後を迎えなくちゃいけなくなった時は私が・・・私が隣にいてあげるから」 あれは一体。 バスが走り出す。 「ゴメンね竹林君」 秋津島さんの囁くような声が俺の耳元に囁かれ、昨日の香の言葉について考えることを中断させる。 「次のバス停で降りよう」 「それは良いけど秋津島さん、これから何所へ行こう?」 「ここから停留所二つ分歩くと水族館だよ」 無表情に声を潜めつつも・・・そりゃあいきなり元気になったら周囲が怪訝な顔すること必至だもんね・・・悪戯っぽい目をしながら秋津島さんは言った。 「お詫びに君が一番好きなところへ連れて行くことにしよう」 「俺の?」 「ふふふふん」 周囲に気を使いつつも、秋津島さんは俺の耳元で小さく囁くと、降車のブザーを押した。 * * * * * * * * * * 「なるほど、たしかに俺が喜びそうな場所」 秋津島さんと連れだって歩くこと小一時間、辿り着いたのは室蘭水族館だい。 ここはもう、とっても古くて竜吉じいちゃんがガキんちょの頃よりも昔に開館した太古の代物だ。肝心の水族館の規模は小さいけど・・・何代目かは知らないが・・・名物のデンキウナギがいるし、さらにはこぢんまりした遊園地と、オットセイやら何やらに餌を・・・有料ですが・・・あげることができるミニ動物園なんかがあって入館料も超がつくくらいのお手頃価格なんで、それこそ家族連れから実弾が乏しい彼氏と彼女の憩いの場所として市民から愛され続けている。 そりゃまあ、登別のマリンパーク・ニ○スの方が遥かにお洒落でデートにはもってこいなんだけど・・何せ○クスの水族館はエスカレーターと水中トンネルから眺める巨大水槽が圧巻で飽きが来ない。 田舎者の俺達からしてみれば別世界にも思える夢の国だが入館料がべらぼうに高いのが玉に傷ってなところだ。たしかにあれだけの施設を維持管理するわけだから値段が張るのはやむを得ずと言うところか。 それに比べて室蘭水族館は水族館なんだかミニ遊園地なんだかミニミニ動物園なんだかよくわからないごった煮のようなとこなんだけど、それはそれで充分に楽しめる親しみある馴染みの遊び場という地位を地道に築いている。 そして、呆れたことに水族館は人でいっぱいだった。 まるでやけっぱちだとでもいう感じで市民町民家族連れから彼氏彼女に爺さん婆さんまでが繰り出していて、とてもじゃないが和めない有様だった。 ま、まあ、俺達もその中の2名なわけだからありこれ言える筋合いじゃないことはわかっちゃいるんだが。 でだね。 秋津島さんが、俺の好きなところって言ったのはここだ。 室蘭市と登別市の狭間にある鷲別町がビオトープの町宣言をしたのにあやかったのか何なのか水族館の空き地に建てられたのがここビオトープ実験館ってやつだ。 こいつは言わずもがなの軍事産業各界から防衛省内閣府あれやこれやから地元のご機嫌取りに注ぎ込まれた多額の交付金やら支援金やらのおこぼれで、それでいて豪華なガラス張りでピラミッド型の洒落た温室ってな感じで本館の水族館を尻目にそそり立っている。 エジプトはクフ王のピラミッドと高さと辺の長さを何分の一だかに・・・たはは正確な比率は忘れちまったが・・・縮尺されているんだが、まさか神秘のパワーにあやかって館内に水草をウハウハもうもうに繁殖させようなんて企んでいたのかも知れないというのは俺のささやかな妄想だ。 「私、今までここに入ったことないんだよね」 傍らの秋津島さんがぼそりと呟く。 ここまでの道程で、どういう理由で秋津島さんがムカデに過剰反応を示したのかを知ることとなった俺は彼女に対し、同情以外の想いを抱くことが出来なかった。 ジャンボタニシとその卵、さらには蓮道先輩から吹き込まれたペルージャイアントオオムカデの悪夢的な描写の記憶が相まってのことだと聞かされては、これはさすがに・・・コイツ痴漢です的な悲鳴をあげられたとしても・・・責める気にはなれない。 某動画サイトでネズミを補食するペルージャイアントオオムカデを見た時ニャ、さすがの俺も全身さぶいぼで卒倒しそうになったくらいだし、初めてジャンボタニシの赤々した卵ちゃんを目にした時は・・・さらにはゲロゲロな産卵シーンを目撃してしまった時は前世紀の古典SFでホラーな映画の一場面を思い出して目眩を覚えたくらいだったんだから。 ああ、可哀想な秋津島さん。 「俺、何回か来たことあるよ」 それにしても、外の賑わいとは裏腹の、ここの閑散ぶりはどういうことなんだ? ここって、俺みたいな物好きしか足を踏み入れないあなたの知らない世界なんだろうか? 「うーん、熱帯植物園みたいなところなのかな?私、そういうとこにも行ったこと無いんだ」 「熱帯植物園って言えば・・・函館の湯川温泉街の海岸近くにあったの、俺、幼稚園の時に行ったことがあるなあ」 うーん、これはちょっとしみじみした思い出だな。 「どんなとこだったの?」 「うん、まあ、ふつうに色々植物があって・・・あーお猿さんがいっぱいいたなあ」 「植物園にお猿さん?」 くすくす笑う秋津島さんが可愛い。 「ははは、今はさすがにどうなってるかはわからないけど・・・ここはビオトープを謳ってるだけあって、アマゾンエリアにアジアンエリア、それとオセアニアエリア、日本エリアの四区画に分かれていて、それぞれの地域の代表的な水草とか水辺の植物を色々育てているんだよ」 「ふーん」 ・・・あ、しまった・・・秋津島さんに、マニアックすぎる話しをしてしまった・・・ 「ま、まあここの中は、水草ばかりだし、秋津島さん退屈しちゃうかも・・・」 俺は少しばかりあせりつつ、そう取りなしたんだけど、秋津島さんの反応は意外だった。 「でもって、ここにルドビジアがあるのかな?」 何故だかわからないが、秋津島さんは真剣だった。 何故だ?なんでそこまでルドビジアに拘るんだ? ・・・でも、ルドビジアって言えば・・・ 「あるって言えばあるんだけど、ここでは日本エリアでミズユキノシタって名前で植えられてるんだ」 「ミズユキノシタ?・・・何処かで聞いたような・・・あ、そうだ浅沼さんが言ってたけど・・・」 「ミズユキノシタは本州の方で自生してる水草でね。元を正せばルドビジア・オバリスと同じなんだよ」 「そうか・・・そうなんだ・・・」 おいおい何故ルドビジア・オバリスでそれほどに深刻になるんだい? その理由を聞いてみたい気もするけど、俺は聞く気にはなれなかった。 俺にとってルドビジア・オバリスは忌まわしい水草。 「 オバリス・・・スクリミリンゴガイ・・・センチビート・・・ペルージャイアントオオムカデ?・・・」 秋津島さんは、何かに取り憑かれたように独り言を呟いた。 そうそれは緑川先輩に関わる・・・え? オバリス・・・スクリミリンゴガイ・・・ペルージャイアントオオムカデ? ・・・今、、秋津島さんは確かにそう言った・・・ 俺の背筋に冷たいものが走った。 緑川美佐子・・・浅沼香・・・蓮道周里。 秋津島さん、気づいているのか? 「秋津島さん・・・」 「君は言ったぞ。水草は語らないって」 何かを決意した顔で秋津島さんは言った。 俺と緑川さんしか知らない、二人だけで交わした言葉の切片を。 ・・・そうだ、あの時俺は言ったんだ・・・そして緑川先輩は・・・ 「でも彼女は言ったよ。 ・・・水草が、あなたを導く・・・でも、君は・・水草は語らないって言った・・・私がそう言うと彼女はこう言ったんだよ・・・君と私・・・私、つまり秋津島と君という意味だよ・・・水草は、その時に語る・・・その時に導く・・・忘れないでって」 「何時・・・何所で聞いたの?」 自分でも情けないほどに声が震えた。 周りのビオトープも水草も、目に入らなくなってしまった。 俺は、身体の震えを抑えようと身を固くする。 「・・・君を信じて、話すことにするよ・・・」 躊躇いがちに、秋津島さんは言った。 耳を疑うような話しだった。 * * * * * * * * * * まったく、これは賭みたいなものだった。 なんてったって、私の根拠はかつて竹林がゲノ占の手伝いしたのを誰にも言わないでくれたイコールコイツは口が硬い、信用できる・・・かもしれない・・・っていう、お前そんなで大丈夫なのか?ってなほどにヘロヘロな代物なんだから。 下手をしたらこの女、顔と体は良いけど頭の中は残念どころじゃなく因果地平の彼方までぶっ飛んじゃってる自爆女って扱いをされかねない。 だけど、ここまで来たらもう全部ぶちまけて後は野となれ山となれ的覚悟が必要だぞ。 私と竹林は、四区画に別れたビオトープ実験館の中央広場の休憩所に並ぶベンチに腰掛けていた。 開館当初は人で賑わってたかも知れない実験館は何とも現在、閑古鳥が鳴きっぱなしのようで、私と竹林の二人っきりなんだなこれが。 まあ、それはそれで好都合ってもんだ。 一歩間違えば・・・とうの昔に大間違いしてる気分満々なんだけど・・・頭のネジが何本か外れちゃったんじゃないかってどん引きされても仕方のないくらい妄想じみた、竹林が川で撃沈してからの顛末を、人気のないことを幸いに私は、誰はばかることなく話すことが出来たんだから。 竹林は、有り難いことに、真剣な顔で私の話に耳を傾けてくれた。 「俺ね、秋津島さん。病院で目が醒めた時、じいちゃんと母さんに、何だってあんな所うろついてたんだって聞かれたんだけど、嘘ついたんだ。流木探してて足滑らせたってさ」 「やっぱり別の目的があったんだね?」 私は勤めて真面目に、今度は自分が聞き役なんだってことを心に留め、そう尋ねた。 小さく頷き、竹林は言った。 「以前から水研で、半分冗談で企んでた事があったんだ」 「陰謀?」 「い、いや、そんな大それた事じゃないんだけど」 やばい、話の腰を折ってしまったぞあわわわわ。 「ごめん、ごめん、続けて頂戴」 「うん、つまりだね、川向こうの林の奥へは余程の物好きでもないと足を踏み入れないから、木漏れ日のあるところを探して、そこへ使い古した水槽を並べて気中で水草を大量に栽培できないかって計画だったんだけど・・・」 おいおい、それの何所が陰謀なんだって突っ込んでやりたくなったけど、今は我慢だ。 「俺と緑川さんと浅沼さんとで、一度林の奥を探索したことがあったんだ。そして、見つけた」 遠い目で語る竹林は何所からどう見ても古墳時代を懐かしむ埴輪のようで、あんまり様にはならないんだけど、これも口に出してはいけないから、ただただ静かに頷いて相槌を打つ私。 うーん、私の方が悪の組織・・・この場合は水研じゃわはは・・・からの逃亡者の懺悔に耳を傾ける薄幸のヒロインという役どころだなあ。 「何を・・何を見つけたの?」 そして、謎に迫ったヒロインは、たいてい悲惨な末路を辿るのよねこれが。 「林の奥に、結構大きな水溜まりがあったんだ・・・そうだなあ学校の体育館の半分くらいの広さだったかな」 「そんな水溜まりがあったんだ」 「うん、それも、その周りだけ木が生えていないから陽も差していて・・・つまり・・・その・・・」 本当に話して良いものかどうか悩んでいるようで、竹林は言葉を濁した。 でもね、竹林、そこまで言ったら君が白状しようがしまいが私にだって水研が何を企んだか容易に推察できるってもんだぞ。 「つまり、水研はその水溜まりで直に水草栽培することを思いついたってわけ?」 私がそう突っ込むと、竹林はどうして気づいたんだって顔で細い一重を大きく見開いた。 「ど、どうして」 「水草って、けっこう高いじゃないの。一番安いはずのキンギョ・・・ああ、カボンバだって昔私が買った時は400円くらい・・・2030年代価格です・・・したもの。ほら~ホームセンターなんかで熱帯魚のお店なんて出してるでしょう。その時見たんで覚えてるけど、何だか良くわからない水草が1000円とか2000円とかで売ってるんでビックリしたことがあったのよ・・・だから、そういった高価な水草を外でこっそり栽培できたら笑いが止まらないでしょう?」 「まったくその通りで」 観念しましたとばかりに竹林はぐったりした。 「それで、やったの?」 「まさか!」 私の意に反して竹林達は実直なオタク集団だったらしい。 「いくら何でも、そんな後ろに手が回るような真似できないよ」 「へ?」 「個人の敷地でならともかく、公の場所でそんなことするのは御法度だよ」 おいおい御法度って、君は何時の時代の人間だ? 「それなら別に問題は・・・」 「それが最初はみんな、ただの妄想だけにしておこうってことで終わったんだけど、戦争になって電気の事情で水研が廃止になるって決まった頃から緑川先輩が・・・」 「緑川さんのことは聞いてるよ・・・気の毒だなって思った」 華連邦からの弾道ミサイルを迎撃していた僚艦を守るために、緑川さんのお父さんが乗っていた護衛艦は、その盾となって撃沈されたのだ。 「あの時の緑川先輩は気丈だった」 竹林は小さくため息を吐いた。 少しばかり、話すことに疲れ始めているように私には見えた。 「竹林君、辛かったら無理に話さなくても良いんだよ」 おいおい、お前、いつからそんな心優しい女の子になったんだ?お前は竹林周辺を取り巻く謎を知りたくてうずうずしていたんじゃまいか?散々面倒事に巻き込んでくれた竹林の襟首捕まえて、小一時間説教しながら洗いざらい白状させる気満々だったんじゃないのか? だけど。 だけど、これ以上話しをさせるのは、何となく可哀想な気がする。 竹林だって、私に劣らずいろいろ大変な目に、辛い目に会ってたはずなんだから。 「いや、良いんだよ」 泣かせることにいじらしげな顔で竹林は無理矢理な笑顔で応えた。 「秋津島さんには、ちゃんと話しておかないと」 うおお~い、そんな顔で見つめられたら、私だって頷いちゃうしかないじゃないか。 「水研が廃止になるって決まった頃から緑川先輩は塞ぎがちになって・・・それで、水草も一部を除いて処分しなきゃならなくなったんだ。もっとも、生徒玄関と職員玄関の大型の水槽を空にするのがメインで、部室の水槽は間を置いて少しずつ空にしていけば良いって話しだったから俺は楽観してたんだけど、でかい水槽の水草は膨大だから、いくらかはプランターで気中栽培って計画を立てたんだけど、緑川さんは・・・その・・言い始めたんだ・・・水草が怖がってるって」 「怖がる?」 「干からびるのはイヤだって言ってるって、緑川さんが独り言のように呟いてるの見て、俺ちょっとどころじゃなく心配になっていたんだけど・・・丁度2日がかりで二つの水槽を空にして、水草は湿らせた新聞紙にくるんで小分けして・・・それで水気が保てれば1日2日は平気なんだよ水草は・・・緑川さんは全部捨てたって言ってたけど、俺には嘘だってわかってた」 「つまり、全部君達が見つけた水溜まりに?」 私の問いに、竹林は無言で頷いた。 「あそこは適当に広くて深さもせいぜい4、50センチ程度で・・・そして何より・・」 な、何だよ勿体つけるな竹林庄一め。 「坊主山って、昔は木なんか全然無かったのにビオトープ宣言以来植林を重ねて成長促進剤をこれでもかってくらいに投入して今に至るわけなんだけど・・・そのですね」 「うんうん」 「あそこの俺が転んで溺れた川なんだけど」 「うん」 「水研は時々、あそこから水汲んできて水槽に添加してたんだ・・・つまり、坊主山の土壌にはまだ成長促進剤がたくさん含まれていて、それが雨とかで川に染み出てるってわけ」 「ああ、それを肥料代わりにしてたわけね。水草の」 「そうなんだ、だからあの水溜まりも栄養でいっぱい。もちろん水質も調べてみたけど、これが水草の環境に適した弱酸性でpHは6ちょっとなんだから俺達もびっくりさ。きっと周りの木からの落ち葉が水底に溜まっているからで、土壌はさくさくで粘土質じゃないからもう・・・」 「ぜひ水草植えてくださいって環境だった?」 私がそう言うと竹林はやりきれないとでも言うようにため息を吐いた。 「緑川さんは誘惑に負けたんだよ・・・エキノドルスにクリプトコリネ、ウィローモスにトニナからスターレンジ・・・それどころじゃなく全部あそこに植えたに違いない」 「違いないって・・・竹林君は見てないの?」 「うん、緑川さん、俺達に黙って姿を消したんだ・・・お別れくらい言ってくれても良かったのに突然姿を消して・・・俺には携帯にメールがあったけど、そこに水草は全部あの水溜まりに植えたって・・・」 「ま、まあ、でも、水草って外来種だし、放っておいても冬は越せないわけでしょう?」 「・・・・それが・・・」 もうにっちもさっちも行きませんって顔で竹林は言った。 まだまだ室温が保たれていて、ちょっと暑いくらいの実験館のど真ん中。 私の隣にいるむさ苦しい埴輪顔の竹林が青ざめている。 あー、私も一緒に血の気の引いた顔で目を点にとしていた。 「そんなことが出来るの?」 「ほんの数株だけど、緑川さんはエキノとクリプトの品種改良をしてたんだ。あの人は何度も失敗したけど、とうとうやり遂げたよ」 「越冬できる品種だなんて・・・」 「それに、外来種っていっても、もとから越冬できる品種もあるんだよ。例えばバリスネリアの類とか・・・ルドビジアとか」 私は声を失った。 「あそこは間違いなく何種類かの水草が育って冬も越す。成長促進剤で爆発的に増殖して、あの川まであふれ出すかも知れない」 「まさか・・・だって、水溜まりは林の奥にあるんでしょう?」 「長雨で、水かさが増えて支流が出来ていた・・・川岸には、もうルドビジアの気中葉が生え始めていたよ」 「な・・・だから君は・・・」 「あれから4週間・・・まだ俺の手で刈り取れる状態かも知れないから」 「だから、君は確かめに行ったんだ」 「でも、転んだ」 「まあまあ、そんなにがっかりしないで」 そんなふうに慰めてやるしかない私なんだが・・・ん? 待てよ。 じゃあ、なんだって佐川先生と三沢保健医は川向こうに拘ってるんだ? たかだか水草狂の女子高生が違法に植えた水草があるだけなんだぞ。 いや、たしかに戦死された艦長さんの忘れ形見であるお嬢さんの安否が気がかりだってのはわかるけど・・・でも連中は消息不明の緑川さんだけが懸案ってわけじゃない。 ワンとシアのガラス棒って代物があの二人を必死にさせてるんだぞ。 私は竹林にその話を振ってみたんだけど、そんなの知らないの一言で一蹴されてしまった。 「聞いたことないなあ」 「何て言うか、君は思わぬ所で大変なことに巻き込まれてるんじゃないかな」 「いや、でも秋津島さん」 「そりゃあね、一介の女子高生の妄想だって笑われても仕方ないんだけどね」 私ゃため息ついちゃったね。 こんなんじゃ、いつまでたっても緑川幽霊から解放してもらえないぞ。 「あ、いや、そういうつもりじゃ」 竹林は私の機嫌を損ねたと思ったらしく、見てて面白いほどにあたふたしてる。 「でもね竹林君。その水溜まりには何かがあるんだよ」 「それは・・・たしかに・・・」 口籠もりながら躊躇いを見せる竹林の心中は、鈍感な私でも手に取るようにわかっている。竹林は恐れてるんだ。私が取り憑かれている緑川さんの亡骸が、もしかしたらくだんの水溜まりに沈んでいるんじゃないかってことを。 そして、その水の底から何かを訴えようとしているんじゃないかってことを。 私と竹林はすでに、そうした結論に達しているのだ。 ただ、あまりにも恐ろしくて、それを口に出すことが出来ない。 緑川さんは、死んでいる。 だとしたら、彼女はどういう形で命を落とすことになったんだ? 自らの手で命を絶ったのか。 あるいは。 何者かの手によって・・・ 私と竹林はそれを恐れている。 何故なら、もしも後者なら、その魔手は私達にも及ぶのだろうから。 「ねえ竹林君。怒らないで聞いて欲しいんだけど」 「うん」 「緑川さんは、実は生きていて、みんなが聞いているように内地の実家にいるんだって可能性もないわけじゃないんだよね」 「うん」 竹林は何が言いたいんだ?って顔で私を凝視した。 「生き霊なんじゃないかな」 「はあ?」 「だって、そう考えた方が・・・」 「それは現実逃避だよ」 私を遮り、竹林はキッパリと言った。 私は、何度目かのため息を吐いた。 「そうだよね。ゴメン」 「俺は行ってみるよ」 「行くなら私も行くよ」 「でも、秋津島さんには・・・」 今度は私が竹林を遮る番だった。 「私はもう、充分に巻き込まれてるんだよ」 サナトリウムの木陰で詩集を嗜む姿が似合う・・・自分でそう例えるのは果てしなく気恥ずかしいが、これは事実だ・・・美少女と、何処かの古墳から這い出て来た・・・この例えは万人の賛辞を獲得できる自信があるぞ・・・生ける埴輪は、大阪城を・・・あれ?名古屋城だったっけ?・・・挟んで睨み合うゴ○ラとアン○ラスのように身構えてしまう。 結果、気迫負けした竹林は項垂れた。 「それはたしかに、申し訳ないって思っているよ」 そんな意気消沈の埴輪を可哀想とは思ったけれど、ここは追及の手を緩めてはいけない。 「それは良いとして竹林君。私も君も、結構な窮地に立たされていると思うんだ」 「確かに」 「もう、元気出しなさいよ」 そうそういつまでも干からびていて良いわけじゃないんだぞって、こいつの襟首掴んでガクガク揺さぶってやりたい衝動に駆られる私だけど、あいにく今日の竹林はTシャツなんで、ひっ掴む襟首がないんだなこれが。 「君なら私以上に状況を把握していると思ってたぞ」 「え?」 「良いかい。君も私も、彼等がそうしなきゃと思えばいつでも首を欠くことができるくらいに弱ッちい存在なんだ・・・でしょう?」 竹林は、何だこの逆境に豹変する逆ギレ女はって目で見てるけど、ここはこれで押し通そう。 「つまりだよ、私も君も泳がされているんだよ」 「泳ぐ?」 「だからっ!」 私は苛々したけど、ここはひとつ気を静めようと深く深呼吸して竹林に顔を近づけた。 まったく、浅沼香とお友達だというくせに、私程度の美少女が接近しただけでびくってするとは一体どんな小心者なんだ君は。 「敵も手詰まりなんだよ。ワンとシアとガラス棒を見つけたくても思うように事が運んでいない・・・だから、手がかりになりそうな君と私を・・・」 「あ、ああ、その泳がせる」 なるほどと合点がいったらしく、竹林は手で膝を叩いた。 まったく、涙が出るほど年寄り臭い仕草だよ。 そんなん、竜吉さんだってやらないぜ。 「だから、インチキ教師とニセ保健医については、その何かに辿り着くまでは私達の身の安全が保証されているって考えて良いんじゃないかな?」 「なるほど・・・うん、秋津島さんの言うとおりだと思う・・・でも」 竹林がまたまた不安げな顔を見せた。 「ワンとシアの側からすれば、秋津島さんと俺は、速攻いなくなって欲しいお邪魔虫」 「だけど、そう易々と手は出せない」 ここはひとつ、明るい側面もあるのだということを示して弱気な埴輪を激励しなければいけない。 「何かに辿り着くための鍵が私と君だっていうなら、インチキ教師とニセ保健医は、私達を守らなきゃいけない立場だって、そう思えない?」 私は自分自身にもそう言い聞かせた。奴らは私達を守らなくちゃいけない。私達がやられちゃったらせっかくたぐり寄せたか細い糸が断ち切られることになるんだから。 「うん・・・うん、たしかに・・・」 竹林は腰をあげて、私を見下ろした。 「なんにしても、俺はきっちり後始末を着けたい・・・俺、あそこへ行く・・・」 と、ちょっとばかり固い決意を示した途端、竹林は立ち眩みしてよろめいた。 「おっ、おいっ君!」 私ゃ慌てて起ち上がり、竹林を両手で支えた。 「あ・・・ああごめん・・・」 考えてみれば、竹林は病み上がりなのだ。 数日意識不明で、病院のベッドに横たわっていたわけで、それが大したリハビリも無しに退院なんて事になった挙げ句の翌日なんだから。そんな竹林を停留所二つ分歩かせた私は、今考えてみると相当に鬼畜な女だ。 「気にしないで・・・いきなり出かけようなんて無理言ったのは私なんだから」 少しどころではない罪悪感を覚えながら私は、竹林の腰に手を回してベンチに座らせる。 何となく老人介護って気分で、現在私が男子に対して非常識なほどに密着してことなんてさすがに意識もしなかった。 「い、いや、誘ってもらえたのは本心から嬉しかったんだ」 何だ? 何を戯言言ってんだこの生けるというか瀕死の埴輪めって思ったけど、取り敢えずは許してやるぞ今日のところはな。 「それに、秋津島さんの周りで起きたことを全部話してくれたことも」 「いや~何だこの妄想女って思われたらどうしようかってハラハラしてたんだけど、君がちゃんと耳を傾けてくれて、こちらこそありがとうって気持だよ」 私は胸に貯めていたことをすべて吐き出すことが出来て、けっこう気持ち良くなっていたのだ。 「その・・・秋津島さんを悩ませてる幽霊のことも解決しないとね」 おっと真面目顔で意思表示してはいる竹林だけど、埴輪顔だと今一押しが足りないのが残念なんだが、君のその気持が今の私にはとんでもないほど有り難い。 「やっぱり、俺が川を渡らなかったら・・・あそこで溺れたりしなかったら秋津島さんは巻き込まれないですんだのかもしれないし」 竹林は、そこのところで何とも言えない罪悪感を懐いている。 「うーん」 私は唸り・・・悪までもお上品にだ・・・考えていたことを口にした。 「そこのところは関係ない気がするんだ私。いやね、もしかしたら、竹林に関係なく私は巻き込まれていたんじゃないかって気に、今はなっているのよ」 「そ、そうなの?」 「だって、私の席窓際だしね~」 私くらいの美少女だと嫌でも目立つし、幽霊さんのお目に留まるなんて当然の帰結よって気持でいるどうしようもない私だけれど、さすがにそれを口にしたら竹林に呆れ果てられ逐電されるのは目に見えているからこればかりは胸の奥にしまっておこう。 なんてのはただの強がりで、私の捻くれた精神的錯乱てことにしておいてだ。 「まあ、たまたまって事だったんじゃないかな」 私は無難で差し障りのない答えを口にしていた。 「たまたま私は川を渡る君を見つけたって事だと思うよ」 「でも、俺、そこで足を滑らせちゃった」 「成り行きだよ成り行き・・・そういうことにしておこうよ・・・私、君に話すまでは色々と悩んだり怖がったりしていたけど、今はもう、何となく二人で立ち向かえば何とかなるんじゃないかって気分になってるんだから」 「でもさ、秋津島さんだって、いろいろやろうとしていたことがあったんじゃないのかな・・・だって最後の夏になるかもしれないんだから」 「おいおい、そんな神妙な顔するな竹林・・・あ」 しまったって思ったね。 「ごめん、地が出ちゃった」 お、おお~竹林が微妙にどん引きしているのがよくわかるぞ。 「君をがっかりさせたら申し訳ないけど、実際の私ってこんな感じなのよいつも・・・だからあきづき型なんとかなんてあだ名はとんでもなく見当違いも甚だしいというわけなのよお」 もう猫被ってても仕方ないわけなので、私は開き直り、わははははと自爆気味に笑って見せた。 「なんだあ」 竹林もつられて笑っていた。 「なんだか、こっちの方の秋津島さんの方が良いなあ」 「あれ?がっかりってことにならないの?」 「うん、その逆です」 「それなら君の前ではホントの私をさらけ出すことにしてしまおうかな」 私は、ふうってため息を吐いてガラス張りの天井を見上げた。 安堵のため息だった。 「私なんて、いざこれが最後の夏か持って時になって、どうしたらいいのかとか何をしたらいいのかなんて大慌てで少しばかりじゃなく我を忘れていたんだよ」 「秋津島さんが?」 竹林が細い眼をきょとんとさせる。 おーい、その一重瞼の奥が全然見えないぞお。 「そうだよ」 説得力を持たせようと・・・私の話の何所にそんなもんがあるのかはおいといてだ・・・意味深に大きく頷いて見せた。 「私の友達はみんな最後の夏に恋の花を咲かせようって大わらわで私のことは放置プレイだしね。私は私で取り敢えず何処かの部活に首突っ込んで、みんなに負けずに良い彼氏見つけてやろうかって目を血走らせてたし」 全く本当のことを話してしまったせいで大いに気恥ずかしくなった私は、誤魔化しにがははと笑って見せてやったぞ、どうだどん引きしろ竹林庄一。 しかし、奴の反応は予想外だった。 「その気持は分かるような気がするなあ」 しみじみと頷いてやがるぞ生ける埴輪が。 「いやいや、無理に合わせてくれなくても・・・」 「緑川さんのことがなかったら、自分もそんな感じで奔走してたかも知れないなあって思ってさ」 「え、そうなの?」 今度は私がきょとんってする番だったぞ。 「そうだよ」 竹林はため息を吐いた。 そして、竹林はそれ以上のことを言わなかった。 私も、それ以上のことを聞くことはしないで沈黙を守った。 緑と水がいっぱいの、静まり返ったビオトープ実験館の中で、私と竹林はぼんやりとベンチに腰掛けている。 何も話さずに、何もすることなく、ただぼんやりと少し生温かい空気の中で私と竹林は同じ時間を過ごしている。 それが、自分でも意外なほどに居心地が良くて、今までにない安心感に包み込まれているのを感じる。 不思議な気分だった。 正直なところ、私は竹林を異性として意識することは出来ないんでいるんだけど、それがどうしたっていう、妙に納得した気持になれている。 そうなのだ、気位が高く自意識過剰の性格的に残念な欠陥美少女の私が、隣に座ってる生ける埴輪の存在を許容し、すでにというかとっくの昔から受け入れてしまっていると言うことではあるまいか? うーん、まあ、それはそれで、それでも良いのか。 うん、そうだそれで良いのだきっと。 「あ、そろそろ帰る?」 沈黙を退屈と受け取ったのか、竹林がぎこちなく聞いてきた。 そんな小心ぶりがなんとも憎めなく思った私は、自分でも信じられないくらいに自然な仕草でくすくすと笑いを噛み締めている。 「違う違う、退屈したんじゃないんだ」 「そうなの?」 「君の隣だと、どういうわけかマイペースになってしまってる自分がいることに驚きを感じているのだ」 「そりゃあ、俺はご覧の通り・・・」 「何処かの古墳から這い出てきた生ける埴輪」 「全くその通りで」 言われてしまったって顔で竹林がわざとらしく鼻白んでみせる。 「まあまあ、何処かで一休みしようよ」 こんな感じじゃ、もう怪しげなお話しなんて続ける気にはなれないなって諦め気分満々になってしまったけど、私は欲しかった情報以上のものを、今この瞬間に手に入れたのだから。 私はすでに満足すべき状況に身を置いているんじゃないか? たとえ、私を取り巻く謎だらけで危険で奇怪な難題は解決していなくてもね。 それに。 緑川さんの行方はわからずとしても、ゲノ占の謎は解けたのだ。 緑川美佐子と浅沼香、そして蓮道周里との間には何かがあった。 ただ、それが佐川、三沢両氏の陰謀めいたお話しとどう関わってくるのかはどうにもこうにもわからない。 連中の言う第三次世界大戦の引き金になったガラス棒と、それを作ったっていうワンとシアのお話しに至っては雲を掴むようなもので、一介の女子高生にどうこうできるレベルではないじゃないか。 う~ん、私は一体どうすれば良いんだ? 緑川幽霊は、どのあたりまで私にノルマを課しているんだろう。 自分を死に至らしめた誰かを見つけ出して欲しいのはともかくとしても、それ以上のご希望にはさすがにお応えいたしかねない。 私は心の中で、ただただ唸るしかなかった。 「もう大丈夫だよ秋津島さん」 ややあって、それでも少し青ざめた顔で竹林は言った。 「もう、川でのことと言い今日のことと言い迷惑ばかりかけてしまって」 おいおい、病院で、走るゾンビに豹変したねんねちゃんとの一見も忘れないで欲しいぞとは言うもののだ。 「まあ、そう言うな竹林」 私はそう取りなした。 「数日養生して、体力が戻ったら例の水溜まりへ行ってみようよ。それで緑川さんが植えたって言う水草を回収してしまえば君の気持ちも収まるんでしょう?」 「それはそうだけど・・・そうなんだけど・・・行くのは俺一人の方が・・・」 竹林は、どうやら気持が顔に手でしまう奴らしく・・・表情の乏しい埴輪顔のくせに・・・見るからに私の同行を望んでいないのが明らかだった。 さてはコイツ、その水溜まりには私を含め、人目に触れては差し障りのある何かがあるって事を予期しているんじゃないだろうね。 例えば・・・と想いを巡らせ、私は当然の帰結のごとくその差し障りのある何かについて思い当たる。 そう、竹林はもしかして、そこに緑川さんの変わり果てた姿が沈んでいた時のことを恐れているんじゃないのか? もしかしたらコイツ・・・ 「竹林・・・もしかして君は・・・あそこに・・・」 恐る恐る私が聞くと、竹林は掠れるような声で応えた。 恐い顔をしていた。 「そこまでにしておいてくれ・・・」 「ゴメン」 そう答えるしか、今は術がない。 竹林はもしかしたら、そこに緑川さんがいたとして、一人で何をどうしようって言うんだろう。 竹林はもしかしたら、緑川さんがいなくなった本当の理由を知っているんじゃないのか? 竹林はもしかしたら、緑川さんを亡き者にした誰かに心当たりがあるんじゃないのか? だから竹林の本当の目的は水草の処理なんかじゃなくて・・・それは・・・ もう、ここまで来れば、緑川さんはその水溜まりに屍を曝していて、犯人は浅沼香か蓮道周里のどちらかだって結論にしか達しないじゃないか。 もちろん、証拠なんて何もないのだけど・・・そう、証拠なんて無い私達の妄想に過ぎない与太話に違いないのだけれど。 どうか、そうであって欲しいのだけれど。 「こっちこそゴメン」 竹林はまだ具合が悪いのか、顔に脂汗を浮かべている。 「いや、こっちこそ」 私は、竹林の表情が和らいだのを見てホッとしてしまった。 な、何だ? 事の成り行きが私ではなく竹林主導になり始めているような気がするんだが。 信じられないこの展開は一体何だ? 「どっちかっていうと初対面に近い間柄なのに、いきなりあけすけな話しを切り出した私が悪いんだよ」 それは事実だ。 やっきのやり取りで少し安心して無神経になりすぎていたかも知れない。 「ただ、竹林が・・・・あ、ゴメンまた呼び捨てにした」 「ははは、そうしてくれる方が良いよ」 「私も呼び捨てにしてくれて良いんだけど」 「うん、もう少し慣れてきたらね」 竹林が顔を赤らめる。 「うん」 私は頷き。 「それでね、竹林が病院にいる間、竜吉さんとか君のお母さんとか安住ちゃんとかと仲良くなって、君抜きで何だか色々しているうちに、ずっと前からの知り合いのような気持になっちゃって・・・ははは、ちょっと馴れ馴れしくなってしまって」 ちょっとばかり顔が熱くなっているのはどういうわけだ? 照れているのか? 緊張したり照れたりドギマギするのは竹林であって私じゃないはずなのに、何で私が赤面しなきゃならんというのだ。 うむむ、思わぬ所で私の精神的な脆さが露呈しているではないか。 まあ、さっき路上で大泣きしたお前が言うなと言う罵詈雑言が聞こえてきそうだということはこの際無視しておこう。 「いやあ、それは嬉しいことだなあ」 私の心的葛藤を察する繊細さも望みようのない太古の埴輪が細い一重を三日月に丸めて満面いっぱいの笑顔を浮かべているのが腹立たしいが、ここは我慢だぞ秋津島穂高。 竹林は、好意的に考えてやれば素直で正直で人畜無害な良い子なのだ。 自分の利益を差し置いて、人様のことばかり世話焼くものだからいつも損してばかりだけど、それは恐らく結果的に、いやきっと必然的に、何処かの誰かを幸せにしてやっているのかも知れない、そうなのだと思えばそうそう馬鹿には出来ない。 私は認識していた。 こいつは結局良いヤツなのだ。 歩く、情けは人のためならずを標榜する存在なのだ。 ああ全く。 良いヤツって言うのは、決してハッピーエンドに辿り着けない・・・例えば映画なんかじゃ最後に男二人と女一人が生き残ってラスト10分でヒーローとヒロインを引き立てるために不条理な死を強要される残念な役どころピッタリの三枚目ってな位置から逸脱できない残念な奴なんだが・・・・それでもああコイツはって、何処かの誰かの心の片隅に深い印象を焼きつける名脇役なのじゃないのか? そうなのだ、そういうわけで・・・そう、とにかく私はそう感じたのよ・・・竹林は私の心の中に不動の地位を獲得したのだ。 ああ、例えば男女が生き残ってラスト五分でヒロインのために死んじゃったりする残念な役どころの男もいるんだが、私と竹林の場合はそっちの方か。 でもな竹林・・・って私は思った。 例えそうでも私はお前だけを死なせはしないぞ。 君は私と一緒に闘い、そして生き残るのだ。 君と・・・ そう、君と・・・ まったく乙女心っていうのはコロコロとあっちへ行ったりこっちへ行ったり。 苛々してむかつく埴輪が、ある一点から憎みきれない相棒へと変身する。 まるで気まぐれに支点が変わってゆらゆら揺れてるやじろべえみたいなもんだ。 私は今、竹林っていう存在を、さっき以上身近に感じ始めていた。 まあ、別に告白し合ったわけでもないあやふやな意気投合ではあるのだけれど、それでも・・・って私は思い始めている。 そんな表面的なやり取りは無用だし無意味だ。 私は決心したのだ。 最後の夏は、埴輪と過ごす。 それは全く、私の望んでいたシナリオから果てしなく逸脱した顛末であることは否定できないのだけれど、それがどうしたって気持になり始めているのだからこれも運命というものだね。 「私も嬉しいよ、何となく・・・」 私はやっぱり赤面しながら、それでも今までの私からは考えられないほど素直な気持ちでいることが出来ている。 これはこれで嬉しいことだ。 だから、私は竹林にこう告げたのだ。 「何となくだけど、最後かも知れない夏を君とこうしていられることが嬉しく感じられる」 少しばかりぶっきらぼうになってしまったけれど、竹林は人懐こそうな顔で、うんと頷いてくれた。 これもやっぱり、私にとっては嬉しいことだったわけよ。 スポンサーサイト
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