§ 「その日の夜に、月を見上げて」 三十四夕暮れ。 俺は、生徒玄関で優香を見送った。 ・・・ ああ・・・正確には優香と中田と春江母さんなんだけど・・・ なんでも今日は中田の家にお泊まりで、いろいろと語り明かすらしい。 「今日のセイは放し飼いだから、何処でもお好きなようにさ迷うがよろしい」 とは中田のお言葉だが、ふざけてくれるもんだ。 ・・・まあ、配役も決まった。 舞台の進行も目処が立ってるし、大道具小道具も去年よりも人手は多い・・・あとは優香達が適宜な演技指導を・・・ってなところだけで、俺については去年の進行の手順を今年書き直しのシナリオに合わせてみるくらいのもんだ。 後輩達は先に帰しているので、俺は1人、生徒玄関にぽつーん。 うん、でも悪くはないぞ。 ひっそりと、お化けでも出そうなくらいに静まり返った生徒玄関。 薄暗くて、埃臭い。 傾いた夕陽。 明かり取りの窓からさし込む斜めの光線が細長い水晶の柱のように見える。 うん、悪くない。 少なくとも俺は・・・・がっ! 誰かが不意に、俺の頭に・・・拳骨でか?・・・手荒く攻撃を仕掛けてきた。 あんまり痛いものじゃなかったんだけど、俺はびっくりしたのと不意打ちを食らったのとで姿勢を崩し、前のめりに床に倒れ込んでしまった。 「あたたた・・・」 「つつつつ・・・」 あ? なんだ? 聞き覚えのある声だぞ? 叩いた相手は、自分の拳の痛みに切なそうな声を漏らしている。 慌てて俺は立ち直り、振り返ってみると・・・ 「あ・・・やっぱり」 冗談じゃねーぞ。 「先輩石頭ですねえ・・・つつつ」 「なんで、あなたがそこにいるんですか?」 俺は毒気を抜かれたような気分だった。 そこにいた奴。 1年の橋本裕子が涙目で自分の右の手のひらをぶらぶら揺らしている。 俺よりも首ひとつ背丈の低い橋本・・・あ・・ 「おまえ・・・ジャンプして殴りに来たな?」 「えへへ、頭の天辺が狙いだったんですけど」 「おまえさん・・・なんか、俺に恨みでもあるとか・・・」 「それは先輩。 ご自分の胸に聞いてみてくださいな」 橋本は、ようやく痛みが引いたみたいで両の手を腰の後ろに回し、少しかがみながら悪だくみのひとつも企んでるような顔で俺を見上げた。 「・・・・・いつも買い出しさせてるからとか」 「ブー」 「気安く裕子って呼んだことがあった」 「ブー」 「・・・・・・・・」 「ブブー」 「なんにも言ってねー!」 「先輩、お金持ってます?」 「か・・・かつあげ?」 ・・・なんて無謀な奴だ・・・ 「ちゃうちゃう、思い出させてあげるからジュース奢ってくださいよう」 ・・・殴られた上にジュースまで奢らされるのかい・・・ 「檜山商店でいいっすか?」 ・・・って、なんで俺が敬語使うんだ?・・・ 「ええ、もう何処でも」 橋本は慇懃な・・・あ、じつは慇懃無礼なのかもしれない・・・笑顔で両手をもみもみしながら笑みを浮かべてる。 ・・・俺、何やらかしたんだろう?・・・ 「行きましょう、行きましょう! ジュースをたしなみに参りましょう!」 「その棒読みみたいなはしゃぎようが気に障るんですけど・・・・」 俺と橋本は生徒玄関を出た。 檜山商店は、言ってみれば一高のたまり場みたいなものなのかなあ・・・ あとは部活する連中の食料買い出しの最短基地みたいな・・・ でもって店内はそこそこ広くて、十畳ほどの飲食用の空間もあって、ちょっと一休みしたい奴とか、あんまりお腹が減って校舎に戻るまで我慢できないような奴がここで弁当やらパンの袋を開けるという、そういう便利な場所なんだけどね。 俺と橋本が店内に入った時は、誰も生徒はいなかった。 みんながお腹を満たし終わったあとってとこだろうか。 店内は見慣れたコンビニと簡易食堂の合わさった感じなんだけど、建ってからかなり経つので・・・一高が建つ前からあったらしいからね・・・雰囲気は古くさくてお洒落じゃないぞ。 「ああ・・・橋本はジュース何に・・・おいっ!」 「これもこれも」 何でこいつ、幕の内弁当持って来てるの? ああ、それ600円もするんだよ。 「ダメですかあ・・・」 「いや・・・だってジュースって・・」 「私いつも先輩のために買い出し行ってアロエジュース必ず買って来てあげるのに」 「いや・・・だってアロエジュースは・・」 「ここに売ってない時は坂の下の自販機から買って来てあげてたのに・・・」 「わかった。 わかったからそんな声で訴えるなー!」 「で・・・もちろんジュースも」 「・・・好きにしてください」 俺はがっくりと肩を落とした。 ああ・・・優香とのデート代が・・・ 「先輩はジュースだけなんですかあ?」 「・・・あ」 俺も腹が減ってるぞ・・・ 「しゃあない・・・おにぎり買う」 ああ・・・さらにデート代が・・・ 俺は観念した。 橋本は・・・まあ、屈託なく食べてくださいましたよ。 俺が何悪いことしたのかって聞いた時は、弁当のおかずのシャケを分けてくれて誤魔化された。 ・・・ああ・・・俺のおにぎりの中身はシャケだってのに・・・ 「ごちそうさまでしたあ〜!」 檜山商店を出ると、橋本は満足したようで俺にお辞儀をした。 そうそう、腰を45度に折っての最敬礼って奴だよわざとらしい・・・こういう時だけは折り目正しいところが橋本の侮れないところでもあるんだけどね。 「いえいえ・・・ところで」 「少し歩きましょう!」 「うう・・・自転車取ってきて良い?」 「どうぞどうぞ」 お腹で満足したのか橋本は機嫌が良い。 ・・・いったい何なんだ?・・・ 結局、俺と橋本は函館公園まで歩いたんだ。 自転車を挟んで、てくてくと歩を進め。 たいした話しをするでもなく。 俺が、橋本が怒っていたわけを尋ね・・・ 橋本はそれをはぐらかせ・・・ また俺が・・・ 橋本はひらりと・・・ そんな繰り返し。 函館公園は、この時期になると人影もまばらで、噴水の水も栓がされ、奥にある子供ランドの乗り物とかも片付けられる。 「もう、秋も深いねえ」 「先輩おじさんですな」 「ははは〜懐の寒いおじさんで〜」 「私は追いはぎみたいなものですなあ〜」 橋本が笑う。 ああ、そう言えば、橋本とはこんなふうに話しをしてみる機会は今までなかったなあ・・・ 「で・・・どうかね、今回の役柄については?」 「はあ・・まずは突撃という気分でありましょうかあ」 「いやいや、具体的な橋本君の心境というものをだねえ」 「いやいや何をおっしゃいますか」 「・・・・」 「・・・・」 俺と橋本は、お互いに呆れたように顔で笑っていた。 あたりが暗くなり始めていた。 「そろそろバス停へ」 俺は言った。 橋本は頷き、そして言った。 「吉川先輩・・・いつの間にか、月島先輩を名前で呼ぶようになっていたんですね」 「・・・あ・・」 ・・・俺は・・・俺は・・・ 俺達は立ち止まった。 しばらくの時間、なんて言って答えればいいのかわからなくて。 たぶん、橋本も言ってしまったことの意味を、あらためて自覚してしまって。 しばしの沈黙。 橋本は小さくため息を吐き、またあの小狡そうな仕草で上目遣いに 「バス停まで自転車に乗せてくれても良いような気がするんですけど」 って言った。 バス停で自転車の後ろから降りた橋本は。 「それじゃあ、私、ここでバス待ちますから、先輩は行ってください」 「え?」 そして、橋本は姿勢を正し俺へと敬礼を寄越した。 有無を言わせない真剣な眼差しだった。 「このまま行ってください。 お見送りいたします」 「・・・わかった」 俺は・・・ああ、奴に背を向けて漕ぎ出したさ。 奴の視線を背中に感じながらね。 殴られた理由もわかった。 うん、殴られて当たり前だと思う。 ごめんな橋本・・・ 俺は・・・漕いだよ。 目一杯漕いださ。 そうして力一杯漕がないと、橋本に申し訳が立たないって思ったんだ。 |




